千代田G&ハイキング同好会:11月25日及び29日「晩秋の鎌倉散策」に行って来ました。

千代田グループとして11月25日(金)に、ハイキング同好会として11月29日(火)に、それぞれ中村烈さん(千代田G会長)の案内で晩秋の鎌倉を同じルートで散策して来ましたので一緒にご報告させて頂きます。

なお、参加者は両日とも12名ですが、天気は25日が晴天、29日は曇りでした。

JR鎌倉駅東口に朝9時半に集合しました。平日ですが人気の鎌倉だけあって既にかなりの観光客が訪れていました。まずは駅前のバス停から9時40分発の「鎌倉宮(大塔宮)行き」バスに乗りました。

終点のバス停の鎌倉宮まではおよそ20分でした。最初に向かったのは「覚園(カクオン)寺」でした。

なだらかな登坂で横に水路のある細い道を12分ほど歩きました。途中には背の高い皇帝ダリアが目立つ立派なお屋敷もありました。

やがて大きく左に曲がる道の角に階段と山門が見え、そこが「覚園寺」でした。我々は階段を使わず階段の横にある坂道から境内に入りました。

入るとすぐ右手に拝観受付があり、拝観料(@500円)を払うと住職より参拝順序が表に主要な建物の解説が裏に書かれた封筒が配られました。中には寺の縁起が書かれたパンフレットが入ってました。

更に「コロナ前は、住職が境内の中を案内したが、現在は薬師堂の前で待機している住職が簡単な説明するだけになっている。」とのことでした。

しかしながら、我々には元鎌倉ガイド協会員の中村さんが付いているので全く心配無用でした。

「覚園寺」の縁起についてお聞きした内容を少し紹介させて頂きます。

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北条義時が夢の中で薬師如来を護る十二神将の一人の戌神将が現れ「来年の参拝行事は気を付けるように」とお告げがあり、自身の安全を祈願して「薬師堂」を建てたとのことです。そして、翌年の鎌倉八幡宮で行われた源実朝の右大臣拝賀の式で直前に同行の役目を偶然(?)交代したことで実朝暗殺の事件に巻き込まれずに済んだことから、より一層厚く敬ったとの有名な話が残っているとのことです。⇒因みに11月27日(日)に大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でこのシーンが放映されましたのでまさにグッドタイミングでした。

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境内に入って最初に「地蔵堂」を拝観しました。中村さんがお堂の横に並ぶ「六地蔵」の解説からこの寺の地蔵が「黒地蔵」と呼ばれている理由を説明頂き皆さん納得しました。

次に「十三仏やぐら」を拝観しました。やぐらとは鎌倉独自の横穴式墳墓でたくさんあるそうです。平地が少なかった為、武士がお墓として山の斜面に穴を掘り埋葬したとのこと。

境内には“曙杉”(メタセコイヤ)や“イヌマキ”等巨木も多く、その説明もして頂きました。

「覚園寺」の最後は、本堂にもなっている前述の「薬師堂」を参拝しました。待機していた住職の方から本堂の前で薬師三尊や十二神将について簡単な説明を頂きましたが、その後、本堂内において中村さんから更に詳しいご説明を頂きました。

次に向かったのは、「永福(ヨウフク)寺跡」でした。もときた道を戻り、バス停「鎌倉宮」からは徒歩約5分のところにありました。(注:ハイキング同好会は、「覚園寺」の参拝に予定以上に時間がかかった為、拝観を省略しました。)

源頼朝が、奥州の藤原氏が建てた「無量光院」を真似て建てたと言われ、二階建ての大きな仏堂と大きな池をもつ庭園が設けられた大きな寺の跡とのことでした。

最後に向かったのは「瑞泉(ズイセン)寺」でした。「永福寺跡」からは徒歩約15分でしたが、やや勾配のきつい坂道が続いたのと、参道に約160段の階段があったので少し大変だった参加者の方もいらっしゃったようでした。

拝観入口で拝観料(@200円)を払うと「瑞泉寺」の庭園の解説が書かれたチケットが配布されました。

「瑞泉寺」は、御家人の二階堂道蘊が開山に夢窓疎石(ムソウソセキ)として建てたとのことです。(開山=寺院を創始した僧)

この夢窓疎石について中村さんからたっぷり解説がありましたので少しご紹介しましょう。

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夢窓疎石は、「七朝帝師」とも言われ、7人の帝から「国師」(高僧に対して朝廷から贈られる諡号(しごう)の尊称を贈られた臨済宗の高僧であるとともに作庭家として有名で「瑞泉寺」の他に京都の「苔寺」や「天龍寺」等有名な寺の庭も作っています。

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「瑞泉寺」は、花の寺とも言われ、紅葉の名所としても有名だそうですが、写真の通り紅葉が少なかったのは、残念でした。(12月下旬が見頃とのことです。)

前述の夢窓国師が作られた庭は、本堂の裏手にあり、むき出しのゴツゴツした岩に橋を架け、当時は池や滝もあったという「岩庭」でした。洞は座禅等の道場として使用したとのことです。

岩庭の手前に「地蔵堂」があり、「どこも苦地蔵」と呼ばれている名前の由来の説明もして頂きました。

「瑞泉寺」の山門を出たところに吉田松陰留跡碑が立てられており、吉田松陰が下田で密航を企てる前にこの寺に寄り、伯父の住職に会ったとのこと。更に獄中で「瑞泉寺」を訪れた時の詩を詠じたとのことでした。松陰ファンには是非訪れて欲しい場所ですね。

「瑞泉寺」の参拝を終えて、もときた道を鎌倉宮のバス停にまで戻りました。よく見ると鎌倉宮の紅葉が素晴らしく、参拝はしませんが最後に山門をバックに記念写真を撮って、再び12時52分発のバスで鎌倉駅に戻りました。

散策終了後、13時過ぎから駅近くの「仕立屋」にて、昼食会を開催しました。

いつもながら、昔話や近況報告(健康・趣味)で盛り上がる楽しい場となりました。(注:千代田グループの皆様の写真を撮り忘れました。ご容赦願います。)

鎌倉は四季折々に色々な神社仏閣を楽しめる上に美味しいグルメやお土産もたくさんあります。来年度のハイキングでも中村さんの企画で2回実施する予定ですのでご期待願います。

【 ハイキング同好会世話役 薮内 滋 記 】

 

 

 

 

 

 

 

千代田G&ハイキング同好会:11月25日及び29日「晩秋の鎌倉散策」に行って来ました。” に対して3件のコメントがあります。

  1. 成澤節子 より:

    鎌倉やはり素敵ですね 写真もたくさん撮って頂き その場その場での中村ガイドさんのお話がよみがえる思いです     
    ありがとうございました

  2. 髙橋洋子 より:

    鎌倉ハイキングの詳細な内容と写真で参加出来なかった私も一緒に楽しめました!足腰鍛えて来年度は参加したいものですね~藪内さん有り難うございました!

  3. 森岡文明 より:

    千代田グループの皆さん
    ハイキング同好会の皆さん
    晩秋の鎌倉散策、皆さんの笑顔と楽しそうな様子を写真で拝見しました。千代田G会長 中村烈様のガイドご案内、頼もしいですね。中村会長、お疲れ様でした。

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