ハイキング同好会:11月6日(水)北鎌倉散策に行って来ました。
11月6日(水)AM9時30分にJR横須賀線の「北鎌倉駅」にガイドをして頂く中村烈さん(千代田G会長)を含め23名が揃いました。(内1名はAM11時まで参加)
駅前で本日のコースの説明を受けてから線路に沿って徒歩約17分で最初の目的地「建長寺」に着きました。
鎌倉五山第1位を示す石碑の立った建長寺の立派な入り口にある天下門でまず記念写真を撮ってから、駐車場にて中村さんより「北条氏の権力基盤が安定していた第5代執権の北条時頼が創建した寺で、渡来僧の蘭渓道隆を開山(初代住職)に招いている。一直線の伽藍配置は宋時代の禅宗寺院を模している。元号から名前(建長)を付けているお寺は全国でも5つ(延暦寺・仁和寺等)しかない。最盛期には49の塔頭(タッチュウ)があったが現在では12しか残っていない。」等の説明がありました。
まず、拝観受付を兼ねた「総門」がありました。山号の「巨福(コフク)山」の額の“巨”に点が付いているのは、額を書いた第10世住持が『百貫の価を添えた』とのことで、「百貫点」と言われているそうです。
次に立派な「三門」が現れました。扁額の「建長興国禅寺」は建長寺の正式名称で、上層内部には釈迦如来像・十六羅漢・五百羅漢が安置されているとのことです。三門は正式には「三解脱門」と呼ばれ、「空門(すべては空)・無相門(他と比較しない)・無作門(煩悩を捨てる)」の3つの境地を経て悟りの道に至る門とのことでした。
三門の下に置かれた「おびんずるさま」については、「十六羅漢の一人だが、病を治す神通力を大勢の人の前で見せびらかしたことからお釈迦様から叱られ、『以後、本堂の外で人々の病を治して行け』と命じられたとの逸話が残り、“なで仏”として多くの寺に置かれている。」とのことでした。
三門を通り過ぎた道沿いにある「柏槇(ビャクシン)」については、禅宗の寺にはほとんど植えられており、この巨木は、創建当時のもので樹齢750年と言われているとのことでした。
次に「仏殿」に行きました。芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠夫人の“お江(ゴウ)の方[崇源院]”の御霊屋を建替えるにあたり古い方を「仏殿」として建長寺に移築したとのことで、屋根や天井の建築様式が禅宗の仏殿と異なるとのことでした。確かに昨年参拝した円覚寺の仏殿の天井は平面で龍の絵が描かれていましたが、ここは格子天井できらびやかでした。
また、禅宗の本尊は通常“釈迦如来”ですが、ここの本尊が“地蔵菩薩”なのは、この地が地獄谷と言われる処刑場があった場所で地蔵菩薩を本尊とする「心平寺」と言う寺があったのを他に移築して建てたためとのことでした。
なお、「仏殿」を出てから3代将軍の座を巡るお家騒動~春日局が推した次男の家光とお江の方が推した三男の忠長で争った~に伴う怖いお話が中村さんより声を潜めてありました。
争いは家康が長幼の序を理由に3代将軍を家光にしたことで収まりましたが、昭和になって増上寺のお江の方のお墓(宝篋印塔)を調査したところ墓の中身は空で、土台を掘った下に放り込められたように骨壺が埋められていたとのことです。家光がお江の方への恨みをはらすためにわざわざ御霊屋を建替えたのではないかと言われているそうです。皆さんの背筋がゾクッとした瞬間でした。
次に「法堂(ハットウ)」に行きました。住職が修行僧に仏法を講義する建物とのことです。時頼の病気快癒を祈って作られた“千手観音菩薩像”の前に“釈迦苦行像”が置かれていました。2005年の愛知万博でパキスタン館に展示された“釈迦苦行像”(レプリカ)が建長寺に寄贈されたものとのことで、やせ細った釈迦の姿は迫力がありました。天井には“雲龍図”が描かれていました。
次に「方丈」(住持の居所)と庭園を見る予定でしたが、時間の関係で庭園を横から見るだけにして、その裏にある「半僧坊道」の入り口を示す道標の前にてこの先にある「半僧坊大権現」を祀るお堂と「半僧坊」についての説明がありました。
お堂のある場所は、道標から階段を含む登りで15分ほどかかり、更に5分先には「天園ハイキングコース」に繋がる「勝上献(ショウジョウケン)展望台」があり、鎌倉市街が一望できるとのことでした。「半僧坊」は浜松の「方広寺」から勧請した神様で火伏せの神として有名で、お堂にいたる階段横にはお供の「烏天狗」の像が立ち並んでいるとのことでした。
道標を後にして、再び三門の横を通り出口に向かいましたが。途中で創建時から残る国宝の「梵鐘」も見えました。また、境内に隣接する「鎌倉学園」は、桑田佳祐の母校とのことで、それが縁で2003年には三門前でサザンオールスターズのライブが行われたとのことでした。
建長寺の参拝を終えてから道路を挟んで斜め前方にある「円応寺」に向かいました。このお寺も建長寺の境外塔頭とのことでした。
本堂の前にて、円応寺と本尊の閻魔大王についてのお話がありました。
円応寺は、建長寺第9世の智覚禅師が開山したと言われ、当初は大仏近くにあったが、その後、由比ガ浜に移り、更に元禄大地震で現在の場所に移ったとのことで、本尊の閻魔大王像と十王像が祀られているとのこと。
仏教では、輪廻転生の考えがあり、死んでから平均して5年4か月で生まれ変わると言われていますが、亡者は冥界において、最初は七日ごとに7回、次に百ヶ日、一周忌、三回忌の合計10回、10人の王(十王)に出会い取り調べられ、その中の5人目の閻魔大王が6つの生まれ変わり先(六道:天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)のどこにするかを決めるとのことでした。
同じ仏教でも浄土宗や浄土真宗は、罪を犯していても念仏を唱えれば阿弥陀如来が極楽浄土へ導いてくれるとの考えもあり、中村さんはこちらの考え方に賛同したいとのことでした。皆さんが大きく頷いた場面でした。
なお、本堂の閻魔大王像は運慶作と言われており、頓死した運慶が閻魔様より「罪深いお前は本来は地獄行きだが、私の姿を彫像し、その姿を見た人々が悪行をなさなくなるのであれば、現世に戻してやる」と言われて生き返り、笑いながら彫ったので閻魔様の顔も笑っているように見えることから「笑い閻魔」と呼ばれているとのことでした。
「円応寺」の参拝を終えてから、バスで鎌倉駅に戻り、駅前でAM12時15分に散策としては解散となりましたが、その後、希望者20名を駅前の「仕立屋」での昼食会にご案内しました。
90分位でしたが、いつもの御膳を美味しく食べながら適度なアルコールも入ってグループ間の親睦を深めることが出来ました。
今回も通常のガイドさんからはなかなかお聞き出来ない面白くまた教養になるお話をたくさんして頂いた中村さんには心より感謝申し上げたいと思います。
次回のハイキングは直前にご案内している12月10日(火)の「小石川後楽園散策と忘年会」です。現時点(21日)で散策の上限の30名に対してあと2名の枠残となっていますので散策ご希望の方は、早めにお申し込み願います。
【 ハイキング同好会世話役 薮内 滋 記 】
ありがとうございました 鎌倉での中村烈様の素晴らしいガイドが思いおこされ
鎌倉の歴史の奥深さを 改めて かみしめることが出来ました
すぱらしき 記事に感謝です ありがとうございました