ハイキング同好会:11月13日(木)鎌倉散策(「悲運の義経物語」を辿る)に行ってきました

11月13日(木)、JR「藤沢駅」の2階改札出口に、参加者の皆さんには9時にお集まりいただきました。集合時に幹事から当日の案内を配布したうえで、予定の電車に乗るため世話役の薮内さんの号令で、江ノ島電鉄の「藤沢駅」に急いで移動しました。

電車に乗り6駅目の「腰越駅」で下車すると小雨模様で早足で駅から徒歩3分の「満福寺」へ向かいました。

満福寺は、誹謗を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、京都から鎌倉に向かうも、頼朝の怒りにふれて鎌倉に入ることができずしばらく足止めされた寺として有名です。

満福寺への長い石段を登り、霧雨の中、階段の左手にある鐘楼の前の軒下に全員集まりました。秋の鎌倉散策は例年、元鎌倉ガイド協会会員の中村烈さん(千代田G会長)がガイドをしてくださいますが、今回は、「悲運の義経物語」がテーマです。

冒頭に、中村さんが「頼朝派か義経派か」と皆さんに聞かれ、圧倒的に義経派が多いことをニコニコと確認されてから、歌舞伎の「千本桜」「勧進帳」や、NHK大河ドラマに義経が2回取り上げられるなど(1回目は昭和47年1966年で尾上菊之助さん、2回目は、平成17年2005年の滝沢英明さんが演じられている)、とにかく義経は日本人の心情にぴったり合った人気者とのお話から始まりました。

義経は類まれなる行動力と戦略により壇之浦の戦いに勝利しついに平家を滅ぼした功績で、後白河法皇から頼朝に無断で官位(左衛門少尉と検非違使)を受けましたが、このことに頼朝が激怒した気持ちを、現在の会社組織において直属の上司である自分を飛び越えて社長に手柄を報告して昇級した部下に対する上司の気持ちになぞらえて分かりやすくお話頂きました。さすがです。

本堂に入る前に、義経と弁慶の石像の前で21名全員の集合写真を撮りました。

本堂に入ると、ご本尊の薬師如来の祀られた部屋の両側の部屋に義経の生涯を描いた鎌倉彫りの技法を取り入れた襖絵が飾られており、後述の腰越状や安宅の関や弁慶の立ち往生や静御前の舞い等が描かれていました。それぞれの襖絵について中村さんより説明がありました。

頼朝への嘆願文は、満福寺が相模国腰越にあったため「腰越状」と呼ばれているそうです。腰越状の下書きをしたのが、義経の忠義の家臣・弁慶と伝えられていて、満福寺には弁慶ゆかりのものがたくさん残されており、腰越状の版木の本殿内のショーウインドウに現存し、縮小され販売されていました。

また、別室の資料室には、甲冑や仏像の他に鎌倉彫の作品や鎌倉彫の手順の解説資料などが展示されていました。

本堂と資料室の見学に後ろ髪をひかれつつお寺を出ると霧雨は既に止んでいました。

「腰越駅」に戻り江ノ電に揺られながら次は「鎌倉駅」に移動しました。車中は江ノ電から見える海の景色に皆さんから自然と笑顔があふれていました。七里ヶ浜、稲村ケ崎・・と続く駅名と海の景色に自然とサザンオールスターズのメロディーが浮かんできます。

なお、鎌倉駅についてからは、片道1.5Km程の史跡巡りになる為、アキレス腱の固定装具を装着されている薮内さんは、駅前で待機され、懇親会場から合流されることになりました。

「鎌倉駅」から最初に向かう場所は、義経に関わる「重要人物A」の史跡とだけ紹介されたまま中村さんの案内で、二の鳥居をくぐり若宮大路を少し歩いてから右手に折れて小町大路に入り、しばらく進んだところにある石碑の前で止まりました。石碑には「土佐坊昌俊の屋敷址(アト)」と書かれていました。

石碑の前は車の往来が頻繁で大人数では危ないことから、あまり長くは立ち止まれないため、途中の小道に入ったところで説明を受けました。

碑には、頼朝が部下に「京都にいる義経を襲撃する者はいないか?」と問うも誰も手を挙げる者がいない中で、土佐坊昌俊が進んで名乗りを上げたこと、そして京都に出発直前に頼朝に「自分には老母と幼い子らが国にいるのでもしもの時は憐憫をお願いする」と申し出したこと、そのような悲壮な覚悟で門出した武士の邸宅がこの地にあった、という意味が刻まれているとのことでした。昌俊は、結局、義経を襲撃するも待ち構えられていた為、失敗し命を落としているとのことでした。

次に中村さんに案内された義経に関わる「重要人物B」の史跡は、何と「土佐坊昌俊の屋敷址」からすぐ近くの鶴岡八幡宮の中にありました。東鳥居をくぐり「白旗神社」の前で一度お話しをされてから、さらに境内中心部に進んで「舞殿」の横に集まりました。

「舞殿」は、頼朝が建てた若宮の回廊だった場所で、若宮の上棟式で馬引きを命ぜられた義経が快く引き受けなかった為、頼朝より厳しく叱責された場所でありますが、1186年(文治2年)義経の愛妾・静御前が頼朝の命令で歌と舞を披露した場所として有名とのことでした。

そこで静御前が舞いながら歌ったのは義経を慕う歌で「吉野山 峯の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」と「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今になすよしもがな」でした。

これを聴いた頼朝は、「八幡宮の前で舞うならば幕府の栄華を祝うべきなのに、義経を恋い慕って惜別の悲しさを歌うとはとんでもない」と激怒しましたが、北条政子に「かつて石橋山の戦いで敗れたあなた(頼朝)の行方が分からなかった時の私の胸中を思い起こします。静御前の貞節さを思うと趣深く感じられます」とたしなめられて、頼朝の怒りはおさまったというお話を伺いました。満福寺でも静御前の襖絵を特に丁寧に説明されていた理由がここで分かりました。

以上で「悲運の義経物語」をテーマとする鎌倉散策は、ほぼ予定通りの12時30分に終了となりました。

その後、懇親会に参加の19名は、鶴岡八幡宮を出て小町通りに入り、通りの中間点あたりの道を右折して直ぐのところにある中華店「二楽荘」に入りました。二楽荘は、中華の老舗で、6月の鎌倉ハイキングでも訪れたお店です。

全員が席に着くと、中村さんより料理が運ばれて来る前の短い時間を借りて、本日の「悲運の義経物語」の補足説明をさせて欲しいとのことで以下のお話しがありました。

(1)義経がまだ1歳半の時、母である常盤御前が夫の義朝を殺され、老いた母とこども達の命を守るために平清盛の妾となり義経は幼い5年間を寂しく過ごした。その後くらま山の寺に修行に出ることになり親の愛情の薄い育ち方になってしまった為、こどもの精神が抜けきらず大人や武家の常識が欠けるところがあったと思われる。

(2)そのことが、後に頼朝を通さずに朝廷から官位を得たことに頼朝が激怒したことを十分理解できなかったことや、戦い方も周りの話を聞かずに勝利優先の戦い方をしたこと(当時の戦い方は、大将同士が正面からぶつかって戦うところを、卑怯な戦い方とも言える奇襲攻撃を採用した)に繋がったのではないかと思う。

まさに「悲運の義経物語」の背景となる貴重なお話しに中村さんのガイドとしての魅力を改めて感じられたように思いました。

次にお世話役の薮内さんより、中村さんへのお礼を兼ねた挨拶と乾杯のご発声がありました。

乾杯の後は、美味しい中華のコースが次々と運ばれて来ました。皆さんグループの垣根を越えた賑やかな会話に大いに盛り上がっていたようです。

今回もファイルも使いながら分かりやすくユーモアあふれるガイドしてくださり、更には特別メニュー(3000円は超リーズナブル)の懇親会場も手配頂きました中村さんには、心より感謝申し上げます。今やハイキング同好会の人気企画である6月と11月の鎌倉散策を、これからもよろしくご協力のほどお願いいたします。

次回の12月企画は今年度最後のハイキング「九品仏拝観と忘年会」ですが、既に散策参加者27名、忘年会参加者28名(延べ参加者29名)のお申込みを頂き、参加募集を締め切りさせて頂きました。たくさんのお申込み有難うございました。

【 ハイキング同好会幹事:金子 恵 記 】

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ハイキング同好会:11月13日(木)鎌倉散策(「悲運の義経物語」を辿る)に行ってきました” に対して8件のコメントがあります。

  1. 野伏澄江 より:

    当日は曇り小雨又曇りの散策でした。
    満福寺は2回目になります。前回の町田Gの散策では本堂資料のみの見学でしたが、この度は中村様のガイドによる丁寧な説明が加わり更なる深みを感じる事が出来ました。NHKの大河ドラマや、歌舞伎の「義経千本桜」「勧進帳」における義経のイメージと異なる大人の判断が出来なかった義経のお話しに思わず聞き入りました。
    「土佐坊昌俊」の屋敷址を案内頂きましたが、ほとんどの方が初めて聞くお名前だったように思います。義経・頼朝との関係について大変勉強になりました。
    鶴岡八幡宮の中でのお話は義経の愛妾の静御前と義経の母親の常盤御前のお話しが有りました。面白い内容に2人の女性に関心を持ち、家に戻って自分でもう一度調べてしまいました。
    懇親会は前回と同じく「二楽荘」で美味しい中華コースを堪能し、メンバーの皆様と楽しい一時でした。中村様にはガイドと二楽荘ご紹介を頂き感謝申しあげます。
    薮内様、幹事の皆様お世話になりました。
    町田G 野伏澄江

  2. 京葉ベイG 亀井 枝美 より:

    一度は訪ねたいと思っていた「腰越状」で有名な満福寺へのハイキングに参加させて頂きました
    御案内人の 中村 烈様のご説明はまるで身内の話をされて居られ様な 想い入れが深く 聞く方も知らずしらずの内に 固唾を呑み聞きいってしまいました
    鎌倉境内の「舞殿」前では 義経の愛妾の静御前が 義経を偲び「吉野山」を舞う様子を 私は数年前に偶然鎌倉祭で地元の舞踊家が舞うのを拝観いたした事がありました
    義経の悲運は幼少期の育ち方 親の愛を充分受けられなかった事が人としての振舞いに繋がる ここを中村様はガイドとして伝えたかった事の一つでは無いかと思いました
    ニ楽荘の会食費は3000円とは思われ無い豪華で美味し中華でした
    中村様のお陰で御案内も食事も充分楽しめた鎌倉ハイキングでした
    最後になりましたが お御足を痛めて居られるにもかかわりませず 先導下さいました薮内様有難うございました 又幹事の皆様お世話になりました 心より御礼申し上げます
    京葉ベイエリアG 亀井枝美

       

  3. 村尾晶子 より:

    今年の秋は雨の日が多く、散策の日もあいにくの小雨となりました。ただ、鎌倉は観光地の中でも落ち着いた雰囲気の場所なので、小雨混じりのお天気もしっとりとした風情が感じられ、まさしく今回の旅のテーマ「悲運の義経物語」にぴったりな気がしました。
    今まで頼朝と義経の確執や義経の哀しい最期は、何度も時代劇で演じられ、私も好んで観てきました。今回ガイドの中村様が、その二人が仲違いすることになった経緯を教えてくださいました。中村様のお話を聞き、頼朝と義経に縁のある満福寺を訪れると、私の頭の中で時代劇が始まり、楽しくワクワクする散策となりました。
    満福寺では、義経が鎌倉に入ることを頼朝に許して欲しいと書いた「腰越状」を見ました。許しを乞う義経に、それを受け付けない肖像画に描かれているクールな頼朝が目に浮かぶようでした。
    今回はガイドの中村様の詳しい解説のお陰で、鎌倉の魅力がまた一段と増しました。次の機会も楽しみにしております。有難うございました。

  4. 髙橋洋子 より:

    鎌倉散策は興味が有るのですが体調的にあまり参加しておりませんが金子さんの詳細な文章や写真で手に取るように目に浮かびます…凄い文章力の中に女性目線の感じ方も有り薮内さんとは又ひと味違うのも良いですね
    詩吟でも静御前の吟が有りより深く心に染み入りました…
    コメントが遅くなりました

  5. 中村さんの説明で 「義経の嘆願書は 弟として頼朝のために数々の戦の功績を立てたのに 何故入れてもらえないのかが主な内容で 無断で天皇から官位を受けたことを謝っていないことが 頼朝を更に怒らせた」 について サラーリーマン社会に置き換えて頂いたお話は 極めて分かりやすく 今も頭に残っています 
    また 満福寺の後の行き先を伏せて、名前を明かさず重要人物AとBの史跡としてご案内いただいたのも 面白ったと思います ありがとうございました。
     上野G 成澤節子

  6. 榎本淳子 より:

    鎌倉のハイキングは中々日程が合わなくて参加かなっていないので、残念でしたが、いま、じっくりと当日の詳細なレポートを読みながら、義経の悲運のテーマが実際の中村さまの言葉が目の前で聞いているような臨場感あふれる様子に実際はいってないのですが、体験できたような思いになりました。有り難うございました(^.^)
    文章に仕上げるまでのご苦労がしのばれます。
    金子さんのレポートが楽しみになってきました
    日程や下見など毎回、幹事の皆様御苦労様です。
    榎本淳子

  7. 中富 洋子 より:

    ハイキング同好会幹事:金子 恵 様
    鎌倉散策「悲運の義経物語を辿る」にご参加の皆さま

    人気の観光地、鎌倉散策楽しく拝見いたしました。
    義経ゆかりの寺「満福寺」義経と弁慶の石像の前の集合写真いいですね!
    鎌倉大好き女子の中に、フットプロテクター装着の薮内様がにこやかにいて安心しました。
    お大事になさってください。

    義経はいつの時代もイケメン俳優が演じますね。鎌倉殿の13人は菅田将暉さんが悲運の若を、
    内容は別としてぼんやり観ていました。今回の投稿記事や皆さまのコメントで
    「腰越状」のことが分かりました。
    私の住む小松市は、富樫・弁慶で有名な安宅関があり、地元の中学生は毎年回りで勧進帳を演じます。
    義経を演じる生徒はやはり色白の美少年です。

    また、江ノ島電鉄で移動され、美しい海に自然とサザンの歌が出てきましたね。
    「希望の轍」は出ましたでしょうか♪

    冬の始まりの鎌倉を今回も閲覧しながら学びました。ありがとうございます!

    石川県支部 中富 洋子

  8. 金子恵 より:

    石川県支部 中富副委員長様

    いつもご丁寧にお読み頂き、コメントを頂戴いたしましてありがとうございます。

    中富様は、安宅の関跡のある小松市にお住まいとお伺いし、「勧進帳」の物語に思いを馳せております。
    毎年回りで中学生による「勧進帳」が演じられているとのお話に、さぞかし子ども達の心に深く刻まれることかと感動いたします。

    江ノ電から海を眺め浮かんできた曲は、中富様と同じく「希望の轍」から始まり、稲村ヶ崎あたりで「真夏の果実」、と続いたのでした〜笑

    今年も早師走となり寒さが増します折、くれぐれも御自愛下さいますようお願い申し上げます。

    ハイキング同好会幹事 金子恵

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